子ども誕生まで
このたび2008年11月14日に子どもが生まれました。
来年の2月に生まれるだろう・・・とのんびりしていた私でしたが、
急にある日出血。
それが休日でしたが、かかりつけの先生のところへ状況を電話。
すると、「入院の準備をして来てください。」とのこと。
とりあえず準備を言われたままして夫の運転で産婦人科へ出かけました。
先生が診察してくださり、即入院。
早産の可能性があるとのこと。
点滴、トイレ以外は安静。
休日中は点滴をしてすごし、
休日明け(11月はじめの連休が続いていたのです)先生の診察を受けました。
すると、入り口が開きかかっているとのこと。
「これは県立病院へ行きましょう。すぐ紹介状書くから。」
先生はすばやく県立病院へ電話。
救急車を手配。
紹介状を記入。
私はその動きの速さに何が起こったのかわからずオロオロ

先生はそれに気づき「大丈夫だから。」と言ってくれました。
救急車が来て私はパジャマのまま乗り込み、
救急隊の方の配慮に安心感を覚えながらもまだどこか不安を感じていました。
そして県立病院へ到着。
そこで診察。
子宮の入り口が2センチぐらい開いているとのこと
やれやれ、ここで入院できる・・・と思ったのもつかの間、
先生が言いました。
「もしここで赤ちゃんが生まれたとしても、赤ちゃんを見れる設備がないのでもしかしたら大学病院へ行ってもらうことになるかもしれない。一度相談してみます。」
そのとき私は24週。
もう少し大きい週数でないとその県立病院では生まれた赤ちゃんを見れないということでした。
そして、しばらくして。
先生が言いました。
「向こうの大学の先生と相談してみましたが、やはり向こう(大学病院)のほうがいいだろうということで、大学病院へ行きましょう。」
一緒に来た夫はもうここで入院かと思い、入院の準備をしに出て行った後で連絡が取れず。
大分待ちましたが、もうこれは先に行ったほうがいいということで夫には病院にもどってきたら大学へ向ってもらうようにして私は救急車で2時間ほどかかる大学病院へ。
私はこの急激は状況にまたもや対応できず、オロオロ・・・ウルウル
それでも看護師さんの「また戻っておいでよ。」という明るい声に安心感を感じたりしながら救急車へ乗り込みました。
さてどうなる?
長くなってしまったので、また続きは後日・・・・
来年の2月に生まれるだろう・・・とのんびりしていた私でしたが、
急にある日出血。
それが休日でしたが、かかりつけの先生のところへ状況を電話。
すると、「入院の準備をして来てください。」とのこと。
とりあえず準備を言われたままして夫の運転で産婦人科へ出かけました。
先生が診察してくださり、即入院。
早産の可能性があるとのこと。
点滴、トイレ以外は安静。
休日中は点滴をしてすごし、
休日明け(11月はじめの連休が続いていたのです)先生の診察を受けました。
すると、入り口が開きかかっているとのこと。
「これは県立病院へ行きましょう。すぐ紹介状書くから。」
先生はすばやく県立病院へ電話。
救急車を手配。
紹介状を記入。
私はその動きの速さに何が起こったのかわからずオロオロ


先生はそれに気づき「大丈夫だから。」と言ってくれました。
救急車が来て私はパジャマのまま乗り込み、
救急隊の方の配慮に安心感を覚えながらもまだどこか不安を感じていました。
そして県立病院へ到着。
そこで診察。
子宮の入り口が2センチぐらい開いているとのこと

やれやれ、ここで入院できる・・・と思ったのもつかの間、
先生が言いました。
「もしここで赤ちゃんが生まれたとしても、赤ちゃんを見れる設備がないのでもしかしたら大学病院へ行ってもらうことになるかもしれない。一度相談してみます。」
そのとき私は24週。
もう少し大きい週数でないとその県立病院では生まれた赤ちゃんを見れないということでした。
そして、しばらくして。
先生が言いました。
「向こうの大学の先生と相談してみましたが、やはり向こう(大学病院)のほうがいいだろうということで、大学病院へ行きましょう。」
一緒に来た夫はもうここで入院かと思い、入院の準備をしに出て行った後で連絡が取れず。
大分待ちましたが、もうこれは先に行ったほうがいいということで夫には病院にもどってきたら大学へ向ってもらうようにして私は救急車で2時間ほどかかる大学病院へ。
私はこの急激は状況にまたもや対応できず、オロオロ・・・ウルウル

それでも看護師さんの「また戻っておいでよ。」という明るい声に安心感を感じたりしながら救急車へ乗り込みました。
さてどうなる?
長くなってしまったので、また続きは後日・・・・
| 妊娠ライフ | 2008-11-20 | comments:0 | TOP↑

